ずっとこれからも

大好きな婚約者が亡くなり、気持ちの整理と記録のために始めました。

彼との喧嘩は大変。でも、ちょっと楽しい。

私たちが一緒に過ごしていた時間は、単純に穏やかに過ぎるわけではありませんでした。

19年間、ほとんどは喧嘩でした。

 

そんな中で、一緒にいられる幸せを見つけました。

お互いたくさん努力をして掴んだ幸せな日々です。

 

わがままで頑固者同士、うまくちょうどいいところを話し合って、ここ2,3年は半年に一回くらいの喧嘩で終わりました。

それまでは、週に2回以上は喧嘩ばかりしていました。

その中で、諦めるのは私でした。

「どうせわかってくれないんでしょ?」とシャットダウンしていました。

 

そういうと彼は

「ここまで揉めたんだったら、わかるまで言ってこいよ」と良く言いました。

言わなくて、”どうせ”で終わらせれるなら、そもそも喧嘩になる前に言えと。

そりゃそうですよね。

だったらそれまでの喧嘩の時間が勿体無いですし。

いわなくて”どうせ意味がない”と想うなら反発などしなければいいんですから。

 

その後も言い合いが止まりません。

それはきっと、お互いわかって欲しいを詰め込みまくるからなんでしょうね。

聞く気がないわけじゃないんです。

でも、”そっちの気持ちもわかるけど、こっちだって!”と、どうしても思うからなんでしょうね。

そんな中で、お互い学んだことが

自分がわかって欲しいことがあるならば、まずは相手の事をわかってあげようとすることが大事だということです。

 

逆に”わかったもん勝ち”な、変な喧嘩もありました。

だって、理解した方が大人で、なんだか上みたいな感じになるから。

 

そんな時は、”え、結局なんだっけ?”みたいな感じになって笑って、

その後のんびり話をして、まるで世間話のように穏やかに話し合うことができました。

 

そう思えば、最初は本気の喧嘩なのに、途中から大喜利みたいになって、笑いを堪えて、お互い突っ込んで、”ごめん”って言い合って仲直りというパターンも多かったです。

 

基本的に私の方が頑固で聞く耳をもたないので、彼は本当に根気よく私の話を聞こうとしてくれていました。

彼は口がうまかったので、”丸め込まれるもんか!!”と意地はる時も私は多かったですが、それでも彼は話し合いを途中でやめる人ではありませんでした。

 

彼は、私にどれだけ腹を立てても、最後まで根気よく話し合いをしようとしてくれる人でした。

 

話すということは本当に大事ですね。

 

違う人間なんで当たり前ですが、

それでも、”わかるでしょ?”と思ってしまう。

 

”わからない”のが当たり前なのに押し付けちゃうんです。

 

伝えることができるのあらば、ちゃんと伝えて、

伝わらないなら伝え方を学んで、

向き合っていくこと。

 

これは彼氏彼女、夫婦に限らず、

親や兄弟、

仕事上の関係でも当てはまるのかな、と私は思います。

 

お互い伝えることができるなら、

わかりあう事を諦めた方が”負け”、相手をわかろうとした方が”勝ち”と思えば、話し合いもちょっと楽しいイベント。

 

話ができると言うのは、素晴らしいことです。