ずっとこれからも

大好きな婚約者が亡くなり、気持ちの整理と記録のために始めました。

三回忌

三回忌を終えました。

 

 

しばらくの間、私の中では一つの結論のようなものができていて、

『彼はいなくなってしまったけど、私は今を楽しく生きないと』

という思いで過ごしていました。

 

ただ、三回忌を終えた今、その気持ちが折れかけています。

 

彼の遺骨もご実家にお返しする予定もたてていますし、久しぶりに実家に帰る予定も立てています。

 

約2ヶ月前は、”いつかはそうしなければいけない”という決意のようなもので突き進んでいましたが、今さらになって、心の準備ができなくなってしまっている気がします。

『本当にいいの?』『後悔しない?』と私の中で葛藤が湧いてきます。

 

それでも、もう予定も立てて、それこそいつかは進まなければいけない道であることは間違いないので、勢いでやらなければと言う思いはあります。

 

なんだか、難しい気持ちがたくさん湧き上がって、どうしたらいいのか…

パニックになったような感覚になります。

 

 

三回忌で、ご親族の何人かに

「これから、未来を生きなきゃいけないんだから、楽しんでね」

「あなたはこれからがある、彼のことも気になると思うけどそれはそれ。自分が幸せになれるようにね」

「変えなきゃいけない事もたくさんあると思うししんどいと思うけど、彼は彼、あなたはあなたで進んでね」などとお声かけをいただきました。

 

正直、その言葉は意外でした。

彼が亡くなってから初めて会った親族の方々でしたので、もっと”彼のことを想ってね”的なことを言われると思っていましたので…

 

前の記事でも書きましたが、生きていくことは変わっていくことなんだと、割り切りながら進んでいましたので、それを”そういうモノだ”と肯定してもらった気がしました。

 

でも、だからこそ、しっかり考えて進まないといけないなとさらに強く思い、

『本当にいいの?』と言う思いが舞い戻ってきてしまいます。

 

実家に帰ると言うのも

親も高齢ですし、入院をすることが多くその度に『何かあったら…』といやな予感がよぎります。

大阪〜北海道という長距離なので、何かあった時にすぐに駆けつけることができないので、絶対的に近くにいることが正解ですし、一番後悔しない方法だと思います。

それでも、『今でいいの?』がよぎります。

 

進まなければと無理やりに思おうとは思いませんが、時間は待ってくれません。

 

犬くんだって、歳をとります。

 

ほぼ確実に、私より早く彼の元に行くでしょう。

寂しいです…

 

なんだかいろんな考えが浮かんで、いちいち泣いてしまいます。

 

 

また、話は変わりますが…

マンションの上の階がうるさい!!

 

足音もすごいですし、椅子をひく音もすごい!

昼間だけならまだしも、朝も夜も;

朝は大体上の足音で起きます

管理会社に相談して注意してもらっても変わらない…

 

こっちとしては騒音とかまで気にしてる場合じゃない;;

 

そんなこんなで、私は今いっぱいいっぱい

 

ぐちゃぐちゃな記事ですみません

 

 

ついに三回忌

 

そろそろ彼の三回忌が迫ってきました。

 

だいぶ今の生活に慣れてきていましたが、やはり辛いものは辛いですね。

 

 

今年に入って、少しずつ荷物の整理をしてみました。

と言っても、一つ一緒に使っていた壊れた家電を粗大ゴミに出しただけですが・・・

あとは、賞味期限の切れたふりかけやフリーズドライのおかずも少し捨てました。

そんなことしかできませんが、少しずつでも・・・ね;

 

あとは、駐車場。

新しい車は大きいので、今の駐車場にはきついと思い家から少し離れた場所に借りました。

しかし数日後、私が借りていたところにまぁまぁ大きな車が止まっていました;諦めずにチャレンジしてみても良かったのかなと少し後悔しましたが、他の車にぶつけてからでは遅いので、良しとします。。。

 

無事に納車されて運転していますが、だいぶ勝手が違うのでもう少し慣れるまで時間がかかりそうです。

 

 

彼との思い出を振り返り、変わってしまうものや、私自身で変えていけないことが増えていくたびに、これが”生きている”という事なんだなと実感します。

そして、彼の時間は止まっているんだなと思います。

 

 

寂しくてしょうがないけど、仕方がないですね。

 

約2年経ちますが、まだまだ慣れが必要なことばかりです。

 

ゆるゆると、自分のペースで進んでいきたいと思います。

 

 

 

新年

新年が明けましたね。

 

今年は新年早々に大きな災害があり、驚きました。

 

私にできることはなかなかありませんが、少なくとも、救える方の邪魔だけはしないようにできたらと思います。

少しでもたくさんの命が救われますように…

 

新年早々、悲しい思いをした方もたくさんいると思います。

まさかこんな時に…

まさかあの挨拶が最後だったなんて…

そんな最後の別れだったのかもしれないです。

 

人生、本当になにがあるかわかりません。

 

悲しい思いをされた方には、どんな言葉をかけても響きません。

心は拗れて固まって、声をかけられる方が辛いことも多いと思います。

 

それでも、声をかけて、いつか固まった心が溶けるように、受け入れられるようになるまで、たくさん寄り添ってあげてほしいです。

 

悲しい思いをした人は、時に泣きじゃくって、時に笑って、時に怒って

そんな時間をたくさん必要としています。

 

もし、周りにそんな方がいたら、

寄り添ってあげてください。

 

『私の方が悲しい』という言葉や態度は、誰も救いません。

 

みんながみんなを大切に、

みんなが『あなたは泣いていいんだよ』と言える世の中だといいなと、切に思います。

 

どうか、自分を大事に

 

 

 

 

 

2回目の一人での年末

年末です。

 

去年はどんなことを書いていたのかなーと自分のブログを振り返りました。

 

だいぶグジグジした記事でした。

 

 

今年は、去年ほど落ち込んでいません。

まぁ、いろんな幸せな人たちの顔を見て、『あ、いいな〜・・』と思ったりはしますが、去年ほど自暴自棄にはなりません。

 

去年を経験したから、ある程度の覚悟もできていたので、ボロボロと泣くこともありません。

ただただ、寂しいな・・・会いたいな・・・もしも彼がまだ生きていたら、今年はどんな年末だったのかな・・・と憧れを妄想するばかりです。

 

今年の年越しは2回目の一人きりです。あ、犬くんはいます。

寂しくていっぱいいっぱいだった去年とは違いだいぶ落ち着いているのですが、それが逆に落ち着かない。

やり残したことがないか探すけど、わからなくて何だか気力だけが吸い取られる感じがします;

 

この家で年を越せるのももう何度かしかありません。

私は何年か後に、この家を離れて実家に帰ることになります。

過ごせる時間は限られていて、年に一回のことはより大切にしないとと思います。

いつまでもここに居たいという気持ちもありますが、いろんな事を考えていくと実家に帰るのが一番の選択だと思います。

 

なので、この家に心残りがないように、たくさん思い出を振り返って・作って、一日一日を大事にしていきたいと思います。

 

 

とにかく、

『元気に楽しく!』

彼の言葉を大事に、今年一年生きていけたと思います。

 

来年も『元気に楽しく!』を大事に、笑って生きていけたらと思います。

 

みなさまも、笑顔が少しでも多い年になりますように祈っております。

 

楽しいこと!たくさんしましょう!

 

 

 

爆発

彼は、私のことを好きでいてくれたのかな

 

そうであって欲しい

 

もっと一緒にいたかったと想っていて欲しい

 

私と、同じように

 

大切だと想ってて欲しい

 

 

一緒にいられたことを、幸せに想ってくれたら、いいな。

 

 

行かないでよ

 

 

 

今でもどうしようもなく思います

 

涙が止まりません

 

あいたいです

寂しいです

 

 

 

 

 

年末は感傷的になりやすい

 

 

感情の上下が激しいこの頃。

 

 

 

時妻、まだ三回忌の連絡を全員にできていなくて、早くしなきゃと思いながらこれまできてしまいました・・・

三回忌は4月末なのでまぁいっか;

年末年始は避けて一月の早めに連絡をしようと思います。

と開き直っています;

 

 

今日、涙が止まりませんでした。

クリスマスが近いからか、ただ単に寂しいからか、年末が近いからか

理由は分かりませんが、急にポタポタと流れ出しました。

なかなか大粒でした;;

 

未だに私は悲しいんだなと思って、

安心したり、絶望したりします

 

まだ彼のことを想って泣けるくらい人間らしくいれるんだなと思う反面、

もう2年以上経っているのにまだ前を向けていない自分に情けないと想ってしまいます。

 

 

どっちも間違いで、どっちも正解、みたいな感覚でいます。

 

どうしたいのか本当にわかりません。

 

皆さんはどう乗り越えたり、前を向いたり、または別の人生を送ったりしているのでしょうか・・・

 

いろんな乗り越え方、過ごし方、考え方があると想っています。

誰かの意見を聞いたとしても反発ばかりしてしまう気もします。

 

それでも、この”寂しい”とか”悲しい”とかの気持ちの整理をしたくてたくさん考えてしまい、言葉を聞きたいと思います。

 

もしかしたら、それがいつかいい方向へ向かう方法なのかもしれませんね。

 

『元気に楽しく!』

彼が最後に年越しの願掛けに書いた言葉です。

 

私も、元気に楽しく生きていこうと頑張ります。

 

 

おいこのやろー!見てろよ!!

 

 

 

 

 

 

 

私は正しく進んでいるのかな

 

いろいろと、彼がいなくなって私も周りも変わって行きました。

 

彼がいなくなったことが、たまにわからなくなる時があります。

彼を思う時間はきっと少しずつ減っていると思いますし、思い出して泣くことも減ってきました。

これが”忘れる”ということですね。

 

それでも、いつまでも思い続けることが正しいのか、

または、彼のことは”思い出”として、新しく生きていくのが正しいのか、私はわかりません。

 

突然ですが、『進撃の巨人』という漫画を読んだことがある方はいらっしゃるでしょうか。

私が読んでいて、彼が夢中になった漫画でした。

 

(ネタバレになるかもしれないですが・・・)

最終、好き同士だった男女がいて、男が亡くなります。

男は自分が死ぬことはわかっていたので、友人に

”あいつには俺のことをずっと想っていて欲しい!せめて、10年くらいは”

みたいなことを言います。

その話を読んだ彼は、『気持ちわかるなー』と言っていました。

 

私はその時は、まさか自分の好きな男がこんなに早く亡くなるとは思っていなかったので、なにか適当なことを言った気がします。

 

やはり、”私は強い”ので、一人でも平気というのはずっと想っていましたので・・・

 

 

それでも、やっぱり一人は寂しいです。

でもたまに一人で楽だなと思う時もあります。薄情ですね;

 

人間、結局ないものねだりなのかもしれないですね。

 

一人で楽な時もありますが、彼がいた時の方が幸だった。

一人に”なってしまう”のと、一人に”なりたい”のとは大きな違いがあると思います。

 

せめてあと30年くらい後だったらよかったのに。

 

それだったら、”セカンドライフ”として余生の楽しみを送ろうと思えましたが、こんな早く訪れたらなかなか難しい。

 

それと、私が辛いと思うのは

みんなが私を責めているように感じることです。

 

”いつまでもあなたは彼を思い続けなければいけない”

また別の意見では

”自分はとてもさみしい、悲しい、その気持ちをあなたは受け止めないといけない”

 

なぜ個々の人たちは、私に求めるのでしょうか。

私は私で一杯一杯なのに・・・

笑顔でいるから余裕があると思うのでしょうか。

家にいらっしゃったら、気を使うでしょ?お茶も出すし、ねぎらいの言葉だって言いますよ。

 

”悲しい”に上下はないと今でも思っていますし、必要ないと思います。

でも。『自分が悲しいから話を聞いてくれ』という話の切り口で、その後例えばその気持ちを私にぶちまけるのはまだいいですが、そんなこともなく、ただただ黙ってその空間を支配するのはやめて欲しい。

まぁ、ぶちまけられても困りますけどね。

 

まるで私に癒やせと、慰めろという空気を作る人は何なんでしょう。

 

反発するように、”それは私がどうにかすることですか?””それは私にいうべきことですか?”など強めにいうこともあります。

 

でも、それを言った後に後悔もします。

 

それでも私はそんな人たちのために存在したくない。

周りが思う”私の正しい道”など聞きたくもないし押し付けられるなんて真っ平です。

 

 

何だかイライラした内容になりました。

 

いつか明るく楽しい話を描けるようになれればな・・・