ずっとこれからも

大好きな婚約者が亡くなり、気持ちの整理と記録のために始めました。

久しぶりの淀川

淀川

今日、久しぶりに淀川に行きました。

 

大阪は今日とても暖かくて、念の為上着を着て行ったのですが、なかなか暑くて汗だくでした;

 

家からは淀川の河川敷までは車で20分ちょっとくらいです。

のんびりドライブして犬くんと行ってきました。

 

前行った時は春先で、釣りをしている人が多かったですが、今日も多かったです。

 

おじさんたちが、”釣れたかー?””釣れるわけねー”と会話していたので、今日は坊主の人が多かったみたいです。

 

のんびり1時間くらい歩いて帰りました。

それだけですが、ちょっと気分転換になった気がします。

 

気分転換を求めて食べまくる日が続いてしまっているので、こういう”動く”という気分転換を増やしていきたいなと思います!

性格が変わったと思う

 

 

彼がいなくなって1年とちょっと

 

私は、だいぶ性格が変わったと思います。

 

 

自分のいろいろを話す人がいなくなった。

自分のことを好きだと言ってくれる人がいなくなった。

自分を常に必要としてくれる人がいなくなった。

 

いろいろ考えると

『そりゃそうか』と思いました。

 

 

環境が一気に変わって、どうしていいのかわからなくて、

それでも笑顔で生きていこうと今過ごしています。

 

彼がいた頃の私は、自分でいうのもアレですが意外にいい”彼女”だったと思います。

友人・ご家族・ご親族などなど・・・外面がとてもうまい人間だったので;

 

ただ、それも彼がいたからで、彼と愚痴ったり話し合ったりするからできた気遣いだったと思います。

彼に”すごいね””考えてくれてありがとう”と言われるのも、とても嬉しかった。

 

今は、そんな気持ちがだいぶなくなってしまって、必要以上の気遣いなどしたくもないしする必要もないと思っています。

 

彼がいたら、きっと私の話を聞いて、私の不満を受け止めて、いい感じに私を導いてくれたんだろうな。。。

私は、思っている以上に彼を頼りにし、彼に頼られることが大事だったようです。

 

それがなくなった今、虚しいというのでしょうか・・・

そんなよくわからないさみしい気持ちは、後何年続くのかわかりません。

 

急に消えることもあるのかもしれません。

 

考えても仕方ない。

何度も書いていますが;;

 

気楽に気楽に

 

 

小休止したい

 

 

最近、また少し疲れてきました。

 

 

来年の彼の三回忌

そして、車の買い替えを計画していて

それに加え、彼と一緒にやっていた仕事の再開

 

それらが同時に進んでしまい、ちょっと心が疲れてきました。

 

三回忌は私にとっても区切りで、それを最後に、喪主を彼のお母様にお返ししようと思っていますので、その説明?などもいろいろ。

また、ずっと家に置かせてもらっていた彼の遺骨も、彼の次の祥月命日が過ぎた時にお返ししたいと思っています。

 

いつかはご実家で落ち着くのが良いと思っていましたし、そのタイミングが一番良いのかと思っています。

 

そこに関しても、ご親族に誤解を受けないように説明はしましたが・・・何だかわかってくれたのかどうか・・・

『いつまでも抱えるのは大変よね』というふうに言われてしまいました。

 

そう言うわけではないのですが・・・

 

結局は私は結婚しておりませんので、彼の遺骨を持つ資格はないわけで。

今までは、私のわがままで”少しの間まだ家にいて欲しい”と言うことで置かせてもらいましたが、やはり区切りというものは大事。

 

いつまでも一緒にいて欲しいという気持ちもありますが、”心はいつも共に”と思えば、お遺骨にこだわる必要もなく、ある意味で”いつでも一緒”と思えます。

彼自身も”遺骨なんて結局はただのモノだ”と言っていましたし・・・

 

私ができることはもうありません。

 

後は、少しずつ彼と叶えたかった夢を一人で叶えていくことを考えていきたいと思います。

その一つが、前から書いているキャンピングカーです。

ちょっとずつ進んでいますので、また書けたらなーと思います。

彼との思い出の車を乗り換えるということも抵抗がないわけではないですが、どうせいつかは乗り換えるし、今乗っている車も結構走っているので、何となく次の車を考えていたところちょうどいいものを見つけてしまって急に話が進みました。

 

 

それに加え、彼と一緒に進めていた仕事も少しずつ再開して・・・

 

 

なんだかバタバタしてしまっています。

 

 

以前だったらこんなことでへこたれないはずなのですが・・・どこか無理をしていたのかもしれないです。

 

いつの間にかか弱くなってしまったんだなーと、少し自分が情けなくなってきました。

前はもっとタフで、仕事の前に別の仕事をして、仕事の後に別の仕事をするような、今思えば結構無茶苦茶な日々だったのに・・・それも楽しんでいました。

が、今はこんなにも貧弱になってしまって・・・。

 

心が弱るというのは本当に辛いモノですね。

 

体力が減るのは、寝れば治りますが、心の体力は、寝てたとしても楽しいことをしても回復するとは限りません。

これはきっと、そこまで心が衰弱したことがある人でしかわからない辛さかなと思います。

平気と思っていたことができなくて、なお落ち込む。

そんなことは、彼がいなくなってからずっと続いていますが、今でもこんなにダメージを喰らうのですね。

 

 

まぁ、そんなことも考えても仕方がないので、周りに迷惑をかけない程度でちょっと休もうかなーと思います。

 

無理しても、いいことは何もない。

 

ちなみに、

無理してやるとしたら、筋トレがいいらしいですよ。

 

筋肉を動かすと、心のストレスが少し減るみたいです。

 

ということで、筋トレでもして、気持ちが沈まないように気をつけたいと思います。

 

失語症になった父

 

 

私の父は、住職です。

 

小さい頃から、朝5時からお経を読まされたり、お寺の行事の時は手伝いをさせられたりしていました。

 

父が住職なので、家族で旅行など、もってのほかでした。

家に誰かは居ないといけないので。

 

 

父は、本当に住職なのかと思うくらい、適当でちゃらんぽらんでした。

私は、子供の頃、自分の父はいつ働いているのかわからなくて、母に聞いたことがありました。

 

友人の家に遊びに行った時のいつも違和感がありました。

だいたいの家庭の父親は、会社に行って、夜遅くに帰ってきて、という生活を送っていました

 

 

私の父は、日によって居たり居なかったり。

学校から帰ってきたら、居間で寝て居たり、そうと思えばひたすらに何かを筆で書いていたり、何日も会えなかったり。

子供の頃は不思議でした。

 

 

大人になって、父に休みがなかったことを知りました。

 

住職なので、基本的にいつもお札を書いたり、月命日のお経をあげに行ったり

移動は基本的に車で、車にはいつも着物を載せていました。

 

急に亡くなる方ももちろんいますので、その時は連絡が来たらご飯中でもお酒を飲んでいても駆けつけます(飲酒時は母が運転して行っていました)

 

そして、お通夜・お葬式。

 

いつもバタバタと働いていました。

 

 

そして、そんな父が頭を打って、失語症になってしまいました。

 

失語症にもいろいろ種類があるようですが、私の父は、『言いたいことが言葉につながらない』というものです。

 

例えばでにいうと「メロン」と言いたいのに、頭に浮かぶのは「みかん」でそれが違うとわかっているのにそれ以外が出てこない。

結局何を口に出せばいいのかわからなくて、モゴモゴと歯切れのわるい言葉を発するしかない。

それに加えて、脳へのダメージにより、顔の半分の筋肉を動かすことが難しくなってしまいました。

失語症に加えて、口の筋肉を動かすことが難しくなり、より喋るということが困難になりました。

 

父がそうなった時、どれだけ残酷なのだと思いました。

一命は取り留めたものの、父が一番大切にしていた”言葉”を奪われました。

 

住職である父は”話す”ということが仕事です。

そしてそれが父が一番好きなことでした。

話すことが大好きで、その話でどれだけの人を救ってきたのだろう

大切な人を亡くした時、よりそって話を聞いて、話してくれる人というのは本当に救いになります。

 

その”話す”ということを奪われて、どれだけ父は辛かっただろう。

 

父の話は、他のお寺でも有名で、話をして欲しいと依頼を受けるくらいでした。

口もうまく、常にネタ帳に話のタネを書き留めていました。

 

 

今、父がもし話せたら・・・

私が生涯を通して、一番大切だった彼を失い、できることならば、父の話を聞きたい。

聞いて欲しい。

僧侶としての・父としての話を聞きたい。

 

 

でも、打ち明けてもきっと自分の想いを伝えられない父は辛くなるだろうと思うので、聞きません。

 

そしてその後、膀胱癌になり、膀胱の全摘出。

退院したと思ったら、その1ヶ月後に腰を痛め約半年の入院。長期の入院にもかかわらず、原因はわからず、ただただ一人で入院生活を送りました(コロナの影響で、母も面会がなかなかできなかったので)

治療や薬のせいで、一時期、廃人のようになってしまったそうです。

 

それでも、それを耐えて今は自宅でゆっくりと過ごしています。

 

生きるより、死ぬより、辛いことがあるならば、父はその経験をすごしたのではと

ふと思ったりします。

 

 

それでも、今でも、ちゃらんぽらんで笑ってお酒を飲んで、今を生きていてくれる父に、感謝と共に尊敬を感じています。

 

 

今でも腰は痛いでしょうし、膀胱を全摘出したので常にストーマーをつけて過ごしているのも大変だと思います。

話すことも難しいですが、それでも母や檀家さん、私に一生懸命話してくれます。

リハビリも通っています。

 

大好きなお酒は今でも毎日飲んで、ほろ酔いでいつも電話をくれます。

 

 

そんな父を、私も見習わなければと

今日もちゃらんぽらんにいきます。

 

 

寒くなってきましたね。無理せず身体を大事に

寒くなると、星が綺麗に見えるようになります。

 

私は結構宇宙の神秘とか、エジプトの謎とか、そういったある意味オカルト的な謎に関して考えるのが好きです。

彼も好きで、よく二人で話しました。

 

宇宙で一番大きな星や、危ない星、ブラックホールの話。

空白の何年かはなんなのか・・・

人類は何度か滅んでいる説も面白いですよね

 

 

彼は、それを知ることができたのでしょうか・・・

自由にどこにでも行けるようになって、過去も未来も見れるとしたら、きっといろいろな謎に迫って沢山知ることができたのかな、と。

犬くんの散歩をする時、いつも空を見上げて、そんなことを考えたりします。

 

世の中にある不思議を、解明したくもあるし、それが勿体無い気もしますよね。謎であるからドキドキするし、仮説を立てるのが楽しいです。

 

私はというと、いまだに未来にワクワクすることはできず、とりあえず”今”を生きていくだけの日々。いつまでグチグチするんだと怒られそうです。

 

それでも、どこかで彼が見てくれていて、楽しい思い出を作ればきっと彼も喜んでくれると信じています。

それは自己満足な考え方ですが、それが私の今生きる意味です。

だから、できるだけ楽しんで笑おうと思っています。

 

楽しいことがなくても、何もしない日が沢山続いても、それでもとりあえず生きていく。

 

早く終わらせたいという気持ちがフッと湧き出ることはあります。

それでも、とにかく現状維持。しんどかったら何もしない!

無理はしない。

前向きになったら何かする。気が向いたら掃除する。

 

なんとなくで生きていくのは、なんの意味があるんだろうと思ったりもしますが、なんとなく生きていて、いつかいい時が来ればいいなと。そんなゆるゆるな感じで、私はこれからも人生を過ごしていくんだろうなと思います。

今の私は、誰も期待しないしある意味でほったらかし。

たまに腫れ物に触るかのように接してくる人もいますが、私は別に雑でも丁寧でもどちらでも構わない。

”誰かのために”など、私はまったく考えなくなったので。

 

無理なんて、できる時にすればいいし、そもそもする必要なんてない。

 

身体も心も、ゆるゆる

自分が思うように

 

時間をおいて考えてみた

 

 

彼の一周忌も終わり、彼の誕生日もすぎ、私の誕生日も終わりました。

 

またしてもこの寒い時期が来たかと落ち込んだりもしますが、もう落ちるとこまで何度も何度も落ちてるので、落ちてからの浮上の仕方もわかってきました。

 

まぁ、いっぱい泣くだけですが。

 

 

そして、8月のお盆も、9月のお彼岸無事終わりました。

 

去年は初盆だったので白い提灯でしたが、今年は柄つきのものを買いました。

 

ご飯は今年は何を作ろうっと悩みました。

精進料理?のレパートリーなんてそもそも無いので、お肉とお魚を使わないというだけのなんちゃって精進料理を去年は作りました。

今年も同じじゃ芸がないので、レシピを調べて作ってみようと思い違うものを作りました。

 

 

寂しい気持ちは今も変わらないですし、会いたいです。

でも落ち込んでようが笑ってようが現実は変わらない事も、理解してきたのでしょう。

寂しくて悲しくて仕方ない時には、今でも背中がゾワゾワします。背中を虫が這いずり回っている様な感覚です。

これは彼がいなくなった夜から変わりません。今でも気持ちが悪く、落ち着かないです。

 

寂しくなって犬くんを抱っこをするのですが、犬くんは毎回迷惑そうにため息を吐きます;

 

 

ブログを書いていない間、たくさん時間を置いて、ゆっくりゆっくりこれからの事を考えてみました。

 

どうやって生きていったらいいのかさっぱりわからず、目標もなくやりたい事も生き甲斐も何もないな・・・とマイナスな事ばかり考えていたのですが、その度に、”違う違う、犬くんがいるじゃん!”と自分を励まします。

 

そう、犬くんが私の生きる目的なのだと思いました。

そして、そう思う事で建前でやらなくちゃいけない事も断る自信になります。

やりたくない事をやってる時間はない。

 

犬くんだって、あとそろそろシニア犬と呼ばれる様になる。

限りある時間を無駄にしない様にしないと!!

と、勝手にファイトが湧きました。

 

なので、私の今の目標はキャンピングカーの購入です。

お金の余裕などは全然ないですが、そんなことを言ってたらあっという間に時間が過ぎてしまう。

キャンピングカーで、気ままにいろんなところに行って、犬くんとの思い出をいっぱい作りたい。

 

そもそも前からキャンピングカー欲しいねと彼と話していて、今の車ももう10年以上乗っているからそろそろ買い替えだねーと言っていました。

 

ただ、一つだけ悩みなのは、彼と乗っていた車をどうするか・・・

 

流石に2台の車を維持するのは難しい;

 

思い出を手放すか、新い思い出を諦めるか・・・

 

答えはわかっていて、結局こうするんだろうと言うこともわかっていますが、まだ心の準備というか、覚悟というのか、そういうのが出来ていません。

 

 

新しいことを始めるのは、難しいですね

 

 

久しぶり

 

久しぶりにブログを書きます。

久しぶりなのに、私のただの夢日記です。すみません。

 

 

夢を見ました

 

彼が出て来ました

 

彼は一度死んでしまって、病院で息を吹き返したような感じでした。

 

でも、実際には体はなくなっている状態。

なので、数日後にやはり亡くならなけでばいけないようでした。

 

生き返った彼は少しだけ時間をもらって、自由に過ごし、その後病院で亡くなるという契約の元に外に出ました。

 

よくわからないけど、彼が一回亡くなって生き返るまで、1ヶ月くらい期間があったようで、私は悲しいながら引越しの準備をしていました。

内見もしていない、どこかの一戸建てに住もうとしていました。

 

彼が「どこに引っ越すの?」と聞き

私は申し訳ない気持ちで「ここ」っと地図を見せていました

亡くなってすぐに引っ越すなんて裏切っている気持ちだったのです。

 

でも彼は、「いいとこじゃん!ネットは大丈夫なの?」など、楽しそうに笑ってくれました

その家の話をすると、彼は「へー、そうなんだー」と笑って聞いてくれていました

 

移動は車で、その引越し先の家の近くの2階建ての洋風の一軒家を貸し切って過ごしました

(近くなのになぜ行かなかったのか・・・謎)

 

特別何かをしたという記憶はないですが、常に穏やかだったと思います。

ご飯を食べたり、昼寝をしたり

 

何日経ったのかはわかりませんが、彼が約束の病院に行く日になりました

 

朝起きて、支度をして、2階の寝室から手を繋いで降りて行きました

 

下には教会のようなベンチがたくさん並んでいて、たくさんの人が暖かい目で見送ってくれていました。

 

話すわけでもなく、声をあげるわけでもなく、ただ、優しく微笑んで涙を流していました。

 

玄関を出てすぐに、私は彼の手を強く握って足を止めました

 

この家から出ると、彼がいってしまうことがわかっていたから、引き留めたかったのだと思います。

 

 

彼はそれを察して、笑顔で強く私の手を握り、前に引くように歩き出しました

 

その先には車があって、私と彼は後ろの席に座りました。

座席は布団のようにふかふかで乗り心地は良かったですが、天井が低くて少し屈んだ状態でした。

「乗り心地いいね、ちょっとアレだけど」

と彼は笑っていました。

車は走り出しました。

 

走っている道は、ヨーロッパの田舎のような雰囲気で、でも電柱や運動場などもあって、そこは日本っぽい感じでした。

 

車の窓から、引越し先の家が見えて、「あ、あの家だよ」と彼に伝えました

 

一人で住むには明らかに大きすぎる家で、洋風の屋敷に、庭に作業小屋みたいなものもあって、畑もありました。

 

「へーいいねー」という彼の笑顔で、夢は覚めました。

 

 

 

彼以外、知っている人は夢に出て来ませんでした。

 

 

この夢が、私の中で何かとても印象深くて、今日書きました。

 

こんなに穏やかな夢はなかった気がします。

彼はずっと優しく微笑んでくれて、とても優しく私に接してくれていました。

 

なんだかわからないけど

 

”見て良かった”っと思った夢でした